日本三大稲荷>伏見稲荷大社、豊川稲荷、祐徳稲荷

公開日: : 最終更新日:2016/08/22 神社・仏閣


日本には多くの神社がありますが、そのなかでも一大勢力となっているのが稲荷神社(いなりじんじゃ)です。稲荷神社は稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)を祀る神社で、白い狐と朱色の鳥居がシンボルです。稲荷神のルーツは諸説ありますが、主に穀物と食物の神を扱っているため、日本全国に幅広く祀られているほか、神仏習合の影響でお寺でも多く祀られています。
稲荷神社についても例によって「日本三大」が設定されています。その筆頭は神道系稲荷神社の総本山である伏見稲荷ですが、残りふたつについては諸説あり、いくつか組み合わせがあります。今回は、日本三大稲荷にカウントされている神社についてひと通りご紹介しましょう。

京都府京都市・伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

伏見稲荷大社は、京都市伏見区にある稲荷神社です。全国に約3万あるとされる稲荷神社の総本山であり、特に神社に興味がない人でも千本鳥居はテレビなどで見たことがあるというほど有名な神社です。
伏見稲荷は稲荷山全体をご神体としており、稲荷大神の神徳の象徴として5柱の神を祀っています。五穀を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)と猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)をそれぞれ下社、中社、上社に祀り、左右の摂社(摂社)に田中大神(たなかのおおかみ)と四大神(しのおおかみ)を祀ります。それぞれの神には序列はなく、一宇相殿(いちうあいどの)として、一つの社殿で平等な扱いをされています。稲荷神は農業神なので五穀豊穣のご利益があり、さらに商売繁盛と交通安全のご利益もあるとされています。

伏見稲荷の起源は、諸説あります。
山城国風土記(やましろのくにふどき)には、古代の有力豪族であった秦氏(はたし)によるものと記述があります。全国的な不作が続いたとき、稲荷山に稲荷大神を祀ったところ収穫が回復しました。その後、和銅年間(708〜715年)に当地に在住する秦氏が社家(しゃけ)となり神職を世襲するようになった、というものです。
また、空海の東寺設立にからめた縁起もあり、密教とのかかわりも伺えます。

平安時代になると、淳和天皇による位階の下賜や藤原時平の寄進による社殿の造営などで隆盛を迎え、942年には正一位が授けられています。このころは伊勢神宮に天皇以外の参拝が禁じられていたことから、都に近い伏見稲荷に参拝者が集中するようになりました。
鎌倉時代には神仏習合が進み、祭神が5柱になるなど現在に近い形になります。空海に関連した縁起により真言密教に関連する説話の影響もあり、次第に狐の姿をした神という形に解釈されていきます。それが武士や民衆に広がっていき、狐をシンボルとした稲荷神社が各地に建てられました。
戦国時代のはじまりである応仁の乱では戦災により焼きつくされますが、のちに豊臣秀吉の大規模な寄進により再興されます。現在の楼門は、そのときのものといわれています。
江戸時代になると、稲荷信仰は町人や商人により行なわれるようにになりました。メジャーな神のご利益が総合デパートのようになるのはよくあることですが、元は農業神であった稲荷神に商売繁盛と交通安全のご利益が追加されたのは、主にこのころに信仰を担っていた人々の仕事や生活からの要請によるものと考えられます。また、商人により赤い鳥居を奉納する習慣がつくられたことにより、現在の千本鳥居が形成されました。
明治維新のときには、鳥羽・伏見の戦いで危うく戦禍にまきこまれかけましたが、早々に戦闘が終わったために被害はほとんどありませんでした。しかしながら、神仏分離令と廃仏毀釈により本殿内の仏像などが排除されることとなり、幕末の戦争よりも政府が進めた政策のほうが文化的な損失を多く与える結果となりました。
戦後には宗教法人化しましたが、神社本庁は伊勢神宮を頂点とする形であったため、独立した宗教法人となりました。またこのとき、それまで「稲荷神社」という名前であったものを「伏見稲荷大社」に改名しています。

このように長い歴史をもつ神社ですので、1494年に建てられた本殿など多くの文化財を保有しており、信仰だけでなく文化的価値の高い神社であり、近畿地方有数の参拝者数を誇るだけでなく多くの観光客も訪れます。最寄り駅のJR稲荷駅は稲荷大社の目の前であり、京都駅からは5分ほどという好アクセス、社務所以外は24時間開放されていることなど、参拝しやすい条件も整っています。

愛知県豊川市・豊川稲荷(とよかわいなり)

豊川稲荷は愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院で、正式には妙厳寺(みょうごんじ)といいます。境内に祀られている稲荷が有名なため豊川稲荷の名で知られることになり、商売繁盛の神として信仰を集め鳥居も建っています。寺としても大規模であり、修行道場が設置され豊川高等学校を運営、北海道、東京、神奈川、大阪、福岡に別院を持ちます。
妙厳寺の本尊は千手観音で、境内には鎮守として荼枳尼天(だきにてん)が祀られています。荼吉尼天は仏教の女神ですが白狐に騎乗していることからか稲荷神と同一視されるようになり、妙厳寺でも荼吉尼真天(だきにしんてん)と呼ばれるようになりました。

妙厳寺の創建は1441年で、戦国武将として有名な今川義元により整備されました。稲荷信仰が盛んになったのは今川義元や徳川家康の庇護を受けたことと、江戸時代に大岡越前として知られる大岡忠相(おおおかただすけ)や渡辺崋山の信仰を受けたことによります。とくに、大岡越前は自宅の一角に後の東京別院となる江戸参詣所をつくったほどで、立身出世や盗難除けの神として江戸庶民の信仰を集めました。
明治の新分離令において、稲荷を祀ることは認められるものも鳥居は撤去されました。現在の鳥居は戦後の再建となります。

アクセスは、JR豊川駅から徒歩5分、名鉄豊川稲荷駅から徒歩5分など、比較的容易となっています。

佐賀県鹿島市・祐徳稲荷(ゆうとくいなりじんじゃ)

祐徳稲荷神社は佐賀県鹿島市にある神社で、九州の神社としては太宰府天満宮に次ぐ参拝者数を誇ります。日本三大稲荷として最も一般的なのは、伏見稲荷大社と豊川稲荷、祐徳稲荷神社の組み合わせとなっています。

創建は江戸時代で、鹿島藩主鍋島直朝(なべしまなおとも)の夫人である萬子媛(まんこひめ)の勧進によるものです。萬子媛は父である左大臣・花山院定好(かざんいんさだよし)より稲荷大神の神鏡を授けられていました。
1687年に石壁山に社殿が建立され、1705年に石壁山窟にて萬子媛が断食入定を果たしてからは、その諡号(しごう)の祐徳院と呼ばれるようになります。明治時代の神仏分離により祐徳稲荷神社と改名し、仏式を廃したことから萬子媛の院号も改められ、祐徳院から萬媛命(よろづひめ)の神号が送られています。
現在の本殿は1957年の再建で、主要な建物は総漆塗りとなっています。

宮城県岩沼市・竹駒神社(たけこまじんじゃ)

竹駒神社は、宮城県岩沼市(いわぬまし)にある稲荷神社で、東北地方で最も初詣客が多い神社のひとつとして知られています。竹駒という社名は、岩沼市の旧称である武隈が訛ったもので、付近を流れる阿武隈川に由来します。
稲荷神こと倉稲魂神(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすひ)を祀り、衣食住を守る神々として竹駒稲荷大神とも呼ばれ崇敬を集めています。

創建は、社殿によると842年に小野篁(おののたかむら)が陸奥国司として赴任した際に、伏見稲荷を勧進したもとの伝えられます。後冷泉天皇の治世、1045〜1068年のあいだに能因(のういん)が竹駒神社の神が竹馬に乗った姿で現れたとして庵を結び、これが別当寺の竹駒寺となりました。戦国時代には衰えますが江戸時代に伊達家の崇敬を受け発展しました。
明治政府の神仏分離により竹駒寺が移転し、稲荷神が主神とされます。社殿は1710年に伊達吉村(だてよしむら)により造営されたものが文化財に指定されていましたが、1990年に革労協に放火され消失、1994年に再建されたものです。

茨城県笠間市・笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)

笠間稲荷神社は、茨城県笠間市になる稲荷神社で、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷の別名もあります。稲荷神こと宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を祭神とし、五穀豊穣と商売繁盛の神として古くから崇敬を集めてきました。初詣の参拝者数は茨城1位を誇ります。
社伝によると661年の創建とされ、常陸国風土記には7世紀ころには稲荷神への信仰があったことが記載されています。しかしながら、その沿革はよくわかっておらず、江戸時代に笠間藩主が厚く崇敬されてから広く知られるようになりました。

岐阜県平田町・千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)

千代保稲荷神社は、岐阜県海津市(かいづし)にある稲荷神社で、中京地方ではお千代保稲荷(おちょぼいなり)または「おちょぼさん」の愛称で親しまれています。

平安時代、八幡太郎義家として知られる源義家(みなもとのよしいえ)の六男、義隆(よしたか)が分家の際、「先祖の御霊を千代に保て」との教えとともに祖神を承ったのがはじまりとされ、その教えが「千代保」の名の由来となっています。室町時代の文明年間(1469〜1486年)に、子孫である森八海が祖神を祀ったのが、現在の千代保稲荷神社のはじまりとなります。
特徴としては、商売繁盛の神として自営業者の参拝が多いことと、御札やお守りを一切出していないこと、油揚げがお供えされることが挙げられます。

大阪府東大阪市・瓢箪山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)

瓢箪山稲荷神社は、大阪府東大阪市瓢箪山町にある神社で辻占いの総本社として知られます。
創建は1854年で、豊臣秀吉の勧進が由来とされています。現在の本殿は1866に建てられたものです。本殿の背後には瓢箪山古墳と呼ばれる6世紀ころにつくられた古墳で、山畑古墳群の中でも最大最古のものです。

岡山県岡山市・最上稲荷(さいじょういなり)

最上稲荷は、岡山県岡山市北区にある日蓮宗の寺院です。正式には最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)といい、当地の地名から高松稲荷(たかまついなり)とも呼ばれます。本尊は釈迦牟尼仏、祈祷本尊は最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうぼさつ)。最上位経王大菩薩は最上尊とも呼ばれ、姿は荼枳尼天と同様の白狐にまたがった天女の姿をしており、これが稲荷神としても祀られています。

創建は752年で、豊臣秀吉の中国信仰の際に消失しますが、江戸時代に当地を治めた花房職秀(はなぶさもとひで)により日円聖人を招聘し再興されました。現在でも多くの人びとの崇敬を集め、初詣では岡山県内で最大の参拝者が訪れます。

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