日本三大大仏>奈良の大仏、鎌倉大仏

公開日: : 最終更新日:2016/08/02 神社・仏閣


日本国内には多くの仏像がありますが、そのなかでもサイズが大きなものを大仏といいます。大仏は大きいことが条件ですので種類はなんでもよく、大日如来の仏像だから大仏という意味ではありません。鎌倉の大仏は阿弥陀如来ですし、観音菩薩や地蔵菩薩の大仏もあります。
仏像は信仰の対象ですが、彫刻としての美術的価値を見出すこともできます。彫刻としてはやはりサイズ大きいということは圧倒的な存在感という魅力を生みますし、仏のスーパーパワーを像のサイズでもって表現しているともいえます。ある意味では仏像の代表格ともいえる大仏のうち、とりわけ優れているものが日本三大大仏に挙げられています。

奈良の大仏(東大寺・蘆舎那仏)

奈良の大仏は、奈良県東大寺大仏殿の本尊である仏像です。日本の大仏のなかでは誰もが認めるナンバーワンといえる存在であり、修学旅行の定番ともなっています。大仏といえば、この奈良の大仏を想起する人がほとんどでしょう。東大寺盧舎那仏坐像(とうだいじるしゃなぶつざぞう)というのが正式名称で、盧遮那仏は大乗仏教の経典である華厳経(けごんきょう)の中心的存在であり、密教の大日如来と語源を同一とします。
奈良の大仏は745年に聖武天皇の発願により制作がスタートし、752年に開眼供養が行なわれています。聖武天皇は当時の不安定な世相から仏教による国家鎮護を目指しており、その中心的事業として大仏が造立されました。大仏ができてから大仏殿が建設され、758年に竣工しています。しかしながら、こうした大規模事業は国費の浪費につながり、本来の思惑とは裏腹の財政事情の悪化による国の荒廃につながりました。

大仏は完成後数十年で傾いてしまい、855年の地震で首が落ちるなどしています。さらに、戦乱による焼失もありました。
1180年、平家による南都追討の際、平重衡(たいらのしげひら)の軍による戦闘中の放火により、大仏だけでなく東大寺や興福寺の大部分が消失してしまいました。1185年に重源(ちょうげん)を中心とした再興事業により再建されています。
1567年、戦国武将の松永久秀(まつながひさひで)により大仏と大仏殿が焼かれています。このときは復興が進まず、1685年に江戸幕府からの許可を受けた公慶(こうけい)の尽力によりやっと再興がはじまりました。1691年に大仏が完成、1709年に大仏殿が落成し、これらが現代に残るものとなっています。大仏と大仏殿はともに国宝に指定され、現代においても比類ない大きさではありますが、それでも752年当時に比べると3/4ほどのサイズしかありません。
こうした経緯から、大仏のなかにどれほど奈良時代のパーツが残っているのかについては、諸説あります。とくに頭部は完全に江戸時代のものであり、ほかの箇所についても多くが再建されたものと考えられています。

鎌倉大仏(長谷高徳院・阿弥陀如来)

鎌倉大仏は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある高徳院(こうとくいん)の大仏です。鎌倉大仏または長谷の大仏として知られ、高徳院は浄土宗の寺ですので、大仏は阿弥陀如来となります。与謝野晶子の短歌では釈迦牟尼と詠われていますが、これは間違いです。

鎌倉大仏は鎌倉でもシンボリックな像ではありますが、高徳院とともに作られた経緯についてはよくわかっていません。大仏建立については、鎌倉時代の関東情勢に関する史料である『吾妻鏡』には1238年に僧・浄光によってはじめられたとされていますが、一方で1252年から釈迦如来像の造立がはじまったという記載もあり、後者が現在の大仏であるというのが定説となっています。また浄光については業績などが不明であり、一介の僧侶の力だけで大仏がつくられるなどあり得ないことから、鎌倉幕府の関与があると考えるほうが自然ではありますが、そういった背景については確たる史料がなく不明となっています。
鎌倉大仏は雨ざらしとなっていますが、かつては大仏殿に収納されていました。しかしながら、大風や地震、津波などで倒壊し再建は成されませんでした。そのため荒廃が進みますが、江戸時代に修復され、現在にいたります。

鎌倉大仏は銅造阿弥陀如来坐像として国宝に指定されています。鎌倉時代に流行した宋風の仏教彫刻であり、高徳院がもともと真言宗の寺院であったことから膝上で両手を組む密教系の特徴を持っています。創建当時に全身に貼られていた金箔はわずかに痕跡を残すのみとなっていますが、焼失を重ねた奈良の大仏と比べると当初の姿をほぼ保っているのも貴重なところです。
また、内部は空洞で一般参拝者でも入ることができます。

三大大仏の三番目は?

日本三大大仏の三番目は、江戸時代までは京都府方広寺(ほうこうじ)の京の大仏、戦前には兵庫県能福寺(のうふくじ)の兵庫大仏が挙げられていました。しかしながら、それぞれ戦乱による焼失などで往時の姿はなく、そのため奈良の大仏、鎌倉の大仏と同等に扱えるようなものは存在しないというのが、現在の見解となっています。

京の大仏

京の大仏は、京都市東山区にある方広寺にあった大仏です。大坂の陣のきっかけとなった『国家安康君臣豊楽』の鐘で知られる寺ですが、1798年の落雷により焼失するまでは大仏と大仏殿が置かれていました。
1586年、豊臣秀吉により造営がはじまり、途中地震や秀吉の死去により停止しますが、豊臣秀頼より1612年に完成しました。江戸時代になると地震で大仏が損傷したため、再建されます。再建後の大仏と大仏殿東大寺のものよりも大規模なものでしたが、1798年の落雷により焼失します。以後再建は成されませんでしたが、肩より上だけの大仏像が寄進されました。しかしそれも、1973年の火災で失われています。

兵庫大仏

兵庫大仏は、兵庫県神戸市兵庫区にある能福寺の大仏です。1891年に大仏が建立されますが、戦時中の金属類回収令で国に供出され失われました。このときまでは、京の大仏は一部しかありませんでしたから、この兵庫大仏が日本三大大仏のひとつでした。
1991年、再建されて現在の形となります。

現在における第三の大仏候補

あえて挙げるとしたら、として諸説ありますが、富山県高岡市の大佛寺にある高岡大仏、岐阜市の正法寺にある岐阜大仏、再建された兵庫大仏が候補となっています。

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