日本三大河川>信濃川、利根川、石狩川

公開日: : 最終更新日:2016/08/06 自然


日本は山の多い地形のため、そこから流れ出る川も数多くあります。日本国内の数多い川の中で、その流路延長、つまり長さが長いものを日本三大河川といいます。
日本三大河川は信濃川(しなのがわ)、利根川(とねがわ)、石狩川(いしかりがわ)であり、それぞれ日本有数の大河です。
これらの川は流域に広い平野をつくり、豊かな恵みをもたらしてきましたが、同時に大規模な水害をもたらす暴れ川でもあります。

信濃川

信濃川は一級河川で、新潟県と長野県を流れている信濃川水系の本流です。
信濃川と呼ばれているのは新潟県部分で、長野県部分にさかのぼると千曲川(ちくまがわ)と呼ばれており、千曲川部分のほうが長いのですが、河川法で千曲川も含めた信濃川水系の本流を信濃川としているため、信濃川が日本一長い川となっています。

信濃川は、信濃川部分が153キロメートル、千曲川部分が214キロメートル、合計が367キロメートルとなり、日本一の長さとなっています。
また、信濃川水系の流域面積は11,900平方キロメートルとなり日本第3位となります。
流域のほとんどは新潟と長野の両県ですが、一部の源流部が群馬県にあり、水系流域は3県におよぶことになります。

信濃川は万葉集で詠われるなど古くから知られた川で、また川中島合戦場があるなど、流域には歴史的な名所が多数あります。
上流の山間部は急流であることから、大正時代から現代にいたるまで、多くの水力発電所が建設されています。
その規模は日本屈指のもので、首都圏への重要な電力供給源となっています。

また信濃川は大きな川だけに水害が多く、洪水については888年のものが文献に残されており、最大規模のものは1742年の戌の満水です。
洪水による堤防の決壊だけでなく、地震や台風の影響による災害も多数記録されています。
新潟側の越後平野は水はけの悪い平地であり、長野の千曲川は急な流れで水量が多いことが水害の大きな要因となっており、戦国時代には上杉景勝の執政である直江兼続による中ノ口川の掘削、江戸時代には代々の新発田藩主による治水工事が実施され、特に9代藩主牧野忠精のときには大規模化河川改修が行なわれています。
しかし、それでもまだ水害が多発したため、明治時代には江戸時代からプランがあった分水工事が行われ、戦後には大町ダムや奈良井ダム、奥裾花ダムなどのダムが建設され、現代でも治水整備が進められています。
しかし、2004年にも集中豪雨による被害があるなど、洪水との戦いは未だ終わってはいません。

利根川

利根川は新潟県南魚沼市、魚沼市、群馬県利根郡みなかみ町の境目にある大水上山を水源とする川で、流路延長322キロメートルで日本第2位、流域面積が16,840平方キロメートルで日本第1位という非常に大きな川であり、日本を代表する川のひとつです。
群馬県を南に流れ埼玉県との境目にいたるとそれに沿って東へと進み、茨城県と千葉県の境目で太平洋に注ぎます。もともとは埼玉県から南下し東京湾に注ぐルートをとっていましたが、度重なる河川改修によって現在の流路になっています。
流域としては神奈川県以外の関東を網羅し、一部が長野県佐久市にもかかっています。
下流域には、霞ヶ浦など多くの湖や沼があります。
実は利根川の水源が大水上山と判明したのは1954年の調査によるもので、それまでは長らく不明となっていました。

利根川は水害が多いことで知られ、日本三大暴れ川のひとつとして坂東太郎と呼ばれています。
特に江戸時代に付け替えが行なわれるまでは荒川などと合流し東京湾に注いでおり、川幅が狭いことから何度も氾濫を起こし、そのたびに流れを変えてきました。
その氾濫により肥沃な関東平野が形成されてきたのですが、大規模な農地や都市をつくる上では不都合なものでした。
そのため、飛鳥時代から付け替えなどの治水が試みられ、鎌倉時代には源頼朝により初の堤防建設が行なわれています。
また、1253年に執権北条時頼により堤防工事が行なわれ、農地開発が大きく進みました。
室町時代には不安定な政情から目立った工事は行なわれず、戦国時代には後北条氏よる堤防の建設がありました。
徳川家康の江戸入府後は、積極的な河川改修が行なわれました。
江戸幕府が開かれてからは伊奈氏を中心とした河川事業が展開、そのなかでも最大の事業が利根川東遷事業です。

利根川東遷事業は、東京湾に河口を持つ利根川を東に付け替え、現在の銚子市に河口をつくろうというものです。
これが現在の利根川のもととなりましたが、工事についての明確な史料は存在せず、工事完了については1698年説、明治時代であるとする説など、さまざまなものがあります。
この事業の目的は、江戸や関東平野の水害対策、新田開発促進、水運整備、そして江戸防衛のために利根川を大外堀とすることとなっています。
江戸初期には新利根川の開削により一応の区切りがつき、江戸時代を通して多くの治水事業が行なわれています。
見沼代用水の掘削や印旛沼干拓による新田開発による生産性向上、銚子へと抜ける新たな川を利用することで、江戸から難所である犬吠埼を通らずに船を北へ航行させられるようになるなど、多くのメリットをもたらしました。

反面、新たな河口付近に流れる水の量が増えたため、そちらの地域の治水が難しくなる副作用をもたらしました。
明治時代になると、お雇い外国人であるオランダ人のローウェンホルスト・ムルデルの発案による利根川改修計画により、堤防の建設や利根運河の開削が行なわれています。
しかしながら、1910年の「明治43年8月洪水」により関東平野中央部が湖になるほどの大水害が起こり、これを元にさらなる治水事業が行なわれます。
特に足尾銅山の鉱毒対策に治水目的を付加した渡良瀬遊水地の整備は、このときの事業としてよく知られています。
太平洋戦争がはじまると治水事業の中断、治水が不完全な状態となってしまいます。

1947年、それを狙い撃ちするかのようなカスリーン台風による豪雨で致命的な大水害に見まわれ、1949年に策定された治水計画によりダム建設による治水がはじまります。
以後現在にいたるまで多くのダムが建設され、首都圏最大の水源である矢木沢ダムもそのひとつです。
また、平野部ではダム建設ができないため放水路の建設が進められ、映画や特撮番組のロケ地としても有名な首都圏外郭放水路も、その一環として建設されたものです。
さらに山地は土砂災害が頻発し、天然ダムの形成による大規模水害も多いことから、明治時代以降は砂防ダムの建設など防砂事業が進められています。
利水事業としては利根大堰の建設により、利根川の水を荒川に流すことで東京都への水を供給するほか、隅田川の水質改善にも役立てられています。
こうして、現在でも治水事業が続く利根川ですが水害の危険が去ったわけではなく、2015年9月には支流である鬼怒川が豪雨で氾濫、常総市に大きな被害をもたらしています。

余談ですが、利根川は日本海軍の利根型重巡洋艦の1番艦、利根の名の由来となっています。
その2番艦は信濃川の長野県部分である千曲川の別名である筑摩川に由来し筑摩と名付けられており、日本一の川が2番艦、2番目の川が1番艦という、なかなかおもしろい組み合わせになっています。

石狩川

石狩川は、北海道中西部を流れる川で、長さ268キロメートルで日本第3位、流域面積は14,330平方キロメートルで日本第2位となっています。
水源は北海道中央部の大雪山系石狩岳の西斜面で、上川盆地、石狩平野を流れ石狩市で日本海に面した石狩湾に注ぎます。
流域には支笏湖などの湖があり、観光資源となっています。

中流の平野部には三日月湖という川の蛇行の痕跡が多数あります。
この三日月湖こそが、石狩川が暴れ川である証拠です。
河川開発が始まったのは明治時代になってからですが、1898年に開拓はじまって以来最悪の洪水に見まわれ、本格的な治水事業がスタートしました。
紆余曲折あり河川の直線化を進める方向で工事が行なわれ、1936年には石狩川に注ぐ千歳川に合流していた夕張川を直線化し石狩川に合流させ、さらに石狩川も河口から江別までを直線化します。
さらに1934年からの工事でほかの複数の川も直線化し直接石狩川につなげる工事を行ない、入り組んだ蛇行を解消することで水の通りを抑止、洪水被害を軽減できました。
さらに周辺泥炭地から水が抜けやすくなったことで、大規模な新田開発につながりました。
こうした河川改修により、信濃川と同等だった流路延長が短くなり、日本第3位に転落しています。
戦後にはダムの建設などでさらに治水事業が進みますが、1975年と1981年に大水害が発生し、現在でも多くのダム建設が進んでいます。
なかでも2015年に竣工した夕張シューパロダムは、日本国内で最大の多目的ダムとなっています。

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